キューアンドエー株式会社
代表取締役社長 金川 裕一

早稲田大学卒。1982年(株)横河電機製作所(現:横河電機)入社。オフィス機器営業部に配属。また新事業企画室で約20社の新会社設立に関わる。一方、労働組合で書記長なども歴任。
営業企画室を経て、1996年、企業内ベンチャー制度にて、横河マルチメディア(株)設立、代表取締役社長に就任。現在事業統合、商号変更を経た、キューアンドエー株式会社の代表取締役社長を務める。
企業発ベンチャー協議会理事。
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キューアンドエーの金川です。このコラムでは企業内ベンチャーをいろいろな角度で切って見て行きたいと思います。
第1回である今回は「出向制度の弊害」です。
私も設立当初は出向でした。評価は親会社の関連支援部署のマネージャーが行います。しかし、そのマネージャーは私の仕事の中身の詳細は全く見てもいませんし、理解もしていません。私の評価は親会社の経営状況や関連支援部署の相対評価によって決まっていたのです。
いくら頑張っていい成績を上げても、赤字を出して自分の会社の経営を悪化させてもあまり自らの評価には関係ありません。これではモチベートされません。
さらにある事件がありました。それは年末賞与の時でした。
私は自らの会社の経営状況が悪いので従業員の賞与をカットしました。会社の置かれている状況を再三再四従業員に説明して何とか賞与カットを理解してもらいました。しかし、その年にもらった親会社からの出向者である私の賞与は増えていたのです。私の会社の経営は悪化していましたが、親会社の業績はその年は順調であったために私の賞与は前回よりも増えていました。
私はこれでは経営できないと思いました。同じ釜の飯を食っている仲間であるはずなのにその会社の経営者が自らの給与や賞与も決められないようでは仲間は信用してついてきてくれないと思いました。
私は即座に親会社の人事担当の副社長に移籍を申し出ました。副社長は「移籍したら戻れないぞ、身分保障もないし大変だぞ」と何度も慰留してくれましたが、私の決意は変わりませんでした。
世の中にある競合会社に伍して戦おうとしているのにいつでも逃げて帰れる場所があったり、給与や賞与が守られたりしているハングリーでない経営者が勝てるわけがありません。
自分の財産を投げ打って会社のお金を捻出したり、自らの生活を犠牲にして日々ドロドロになって這い上がろうとしている何のバックボーンもない本当のベンチャー企業に勝つためには、せめて企業内ベンチャーとして退路を断ち、自ら背水の陣を敷く覚悟で臨むくらいしかやれることはないと思ったのです。
私はこの時の決断が起業して一番大きな転機だったと思います。いつもどこかに親会社が助けてくれる、失敗しても救ってくれるという甘えがそれまでの自分にはあったといっても過言ではないと思います。
移籍と同時期に親会社からの借り入れも一般市中銀行への借り入れにすべて切り替えました。銀行からの借り入れをそれまでは経験していませんでしたが、自ら都市銀行などに出向いて借り入れをお願いして回りました。その時の会社の経営状況ではケンモホロロ、門前払い状態で大手の都市銀行はどこも相手にしてくれませんでした。結局、ある銀行が高利で貸してくれたのですが、そのときの悔しさは今でも忘れません。しかし、これが当たり前の経営なんだと思いました。
一番大変な資金繰りの苦労をせずにこれまた親会社の庇護の下に経営しているようでは競合他社には勝てないでしょう。今でも大半の大企業の別会社、子会社は出向制度による人事交流を行っています。
皆、出向者であれば別会社にする意味があまりありませんし、プロパーを雇うのであれば出向者制度は人事上「百害あって一利なし」と言えるでしょう。少なくとも経営に携わるものは親会社の身分保障などがあっては絶対に成功はしないでしょう。一旦、移籍してもまた親会社が良ければ再就職すればいいのです。
プロ野球のように一球団に一生身を置くのではなく、必要とされるところに、最も自分が輝ける場所に常にいることが大事な時代になったのではないでしょうか?