愛知淑徳大学
ビジネス学部・研究科
真田 幸光 教授

1957年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、東京銀行入行。1998年愛知淑徳大学ビジネス・コミュニケーション研究所・助教授。2004年4月より現職。
著書に「アジアの国、日本」など多数。また、NHKクローズアップ現代などTV・ラジオ出演、論文・雑誌寄稿、講演をマルチにこなす、現代の辻説法師。
信条は、最小の効果を挙げる為に最大の努力を惜しまぬ人間たれ。
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いよいよ民主党を軸とする新政権による通常国会がはじまり、
「自民党政治に代わる新たな展開」
が期待されています。
しかしながら、私の周囲では、そうした期待が腰砕けとなるように、またもや、自民党政権次代と類似した、
「政治とカネ」
の具体的な問題が顕在化し、
「やはり」
といった声を多く耳にしており、こうした結果、日本国民の多くの人々が政権交代による政治の転換を期待していたものの、
「政権は変わったが政治は変わらない。」
のではないかとの不満、というよりは諦めにも似た感覚を持ち始めているのではないかと私は考えています。
いつも、このコラムでお伝えしていますように、政治を行うことは言うは易く、行なうは難し、実際にこれに携わることは大変でありましょうが、それでも、
「上に立つ者」
に対して、一般庶民は大きな期待をし、だからこそ、上に立つ者には、それに見合う、
「権利と名誉、そしてそれに伴う対価」
が得られるものであると私は考えています。
そんなことを考えているうち「易経一日一言」の中で、
「修辞」
という言葉に触れました。
その本では、
「修辞=辞を修めその誠を立つるは、業に居るゆえんなり。」
と定義されて居り、修辞は本来、簡潔明瞭で力強い言葉を指し、効果的で分かり易く適切で説得力のある、生きて伝わる言葉を意味し、上に立つ者はこの修辞=伝える技術=を身に付けなければならないとも記されていました。
簡潔明瞭に、国民に対して、その「心」と「志」を投げかけることが出来る人が政治家となり、それを実践していかないと、今の日本では、
「政治不信」
が立ち消えない、そんなことを修辞の本来の意味を勉強しながら感じたところであります。
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