愛知淑徳大学
ビジネス学部・研究科
真田 幸光 教授

1957年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、東京銀行入行。1998年愛知淑徳大学ビジネス・コミュニケーション研究所・助教授。2004年4月より現職。
著書に「アジアの国、日本」など多数。また、NHKクローズアップ現代などTV・ラジオ出演、論文・雑誌寄稿、講演をマルチにこなす、現代の辻説法師。
信条は、最小の効果を挙げる為に最大の努力を惜しまぬ人間たれ。
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最近はどうもいけません。
「もしも私がOOだったら」
という「なりたいもの」があまりなくなってきています。
夢がなくなってきたのでしょうか?
かつては、
「もしも私が米国の大統領だったら。」
「もしも私が日本の首相だったら。」
「もしも私がOO製鉄の社長だったら。」
といった形で空想を働かせながら、あれこれと自分がOOであったらと考えていたものですが、最近はなりたいものがないのです。
そして、最近はまた、なりたいものがあったとしても、華やかなものではなく、
「街角に立つ修行僧」
であったり、
「プロ野球の韓国人選手の通訳兼アドバイザー」
といった、一般的に見れば、むしろ地味なものになりたいと感じることが多いのです。
でも、そうした反面、
「格好いい人間になりたい。」
と思う気持ちは強まる一方です。
でも、皆さん、「格好いい人間」というのは一体どういう人間なのでしょうか?
俳優の木村拓哉さんや福山雅治さんのようなイケ面男?小泉元首相のような一世風靡をした政治家?イチロー選手のような記録男のスポーツマン?
もちろん、そんな人たちも格好いいのでしょう。
しかし、何か違う気がする。
それは、
「他人が見て格好いい人間」
ではなく、
「自分が自分に納得をし、自信を持って生きている人間」
であり、人がそれを格好いいと言おうが言うまいが、自分の思うまま、一途に真剣に生きる人間のことを「格好いい」というのではないかと、最近、私は感じるのであります。
そこで、今日のもしもシリーズ、もしも私が格好いい人間だったら?
私は、誰が何と言おうが、私のしたいように生きる、ちょっと身内やごく近い周囲の人間に迷惑を掛けても、
「私のしたいように生きる」
と思います。
残念ながら、まだまだ、格好いい人間になり切れていませんので、自分のしたいように100%生きることが出来ていませんが、もしも、私が格好いい人間になり切れたら、私のしたいことを絶対に私のしたいことをし切って、この世を去っていきたいと思います。
皆様方はどんな人間が格好いい人間であると思われますか?また、皆さんがその格好いい人間であったら、どのように生きられますか?
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