The 対談

「ベストミックスを作る」女性のキャリアアップを考える対談

「ベストミックスを作る」女性のキャリアアップを考える対談

現在、産業経済新聞社 編集局経済本部編集委員としてご活躍の早坂礼子氏と、当社事業開発本部マーケティング部長(広報・秘書部門)安達あけるが、女性のキャリアアップについて語り合いました。

◆掲載日: 2013年 10月31日

安達 早坂さんが新聞社に就職しようと思ったきっかけを教えてください。当時はまだ女性が新聞記者を目指そうと思う時代ではなかったのではないですか?

早坂 一言でいうと“成り行き”でしょうか。私は1980年の入社ですが、その頃は1978年末の第二次オイルショックの余波で日本経済は大変な時期で、新入社員を定期採用する企業がとても減っていましたから入社できる企業が限られていました。また、自宅から通勤することが叶わない女性は採用されないような時代でした。さらに、どなたかの紹介があれば就職できたかもしれませんが、私には紹介してくださる方がいませんでした。すると、必然的に男女均等に雇用してくれるマスコミ業界しか就職先がありませんでした。

安達 それで産経新聞(産業経済新聞社)に入社されたということですね。

早坂 入社は産経新聞ではなくサンケイリビング新聞社です。フリーペーパーを発行している新聞社です。入社後の研修で、産経新聞の先輩女性記者が、仕事する上での心構えなどの話をしてくれました。「社会人になると大変なこともあるし、嫌なことや悔しい思いをすることもあるけれど、10年1つのところで頑張ったらきっと皆さんは第一人者になれますよ」と教えられたのです。一番心に残っているフレーズです。

安達 社会人になって初めて心に響いた貴重なフレーズは、さぞやモチベーションが上がったことでしょう。サンケイリビング新聞社では、どのようなお仕事をされていましたか?

早坂 地域密着型のフリーペーパーを発行している新聞社ですが、記事型広告と言ってスポンサーからの広告収入を得て発行するものです。そのような原稿を書くことがメインの仕事でした。

安達 大変タフなお仕事と思いますが、その時期にご結婚とご出産をされましたね。そうなると、活躍する場やポジションなど、何か変化はありましたか?

早坂 サンケイリビングでは多くの女性が働いていましたから、結婚して出産することも当たり前でした。私も結婚して子供ができて1年程度休ませていただきました。復帰して仕事を続けているうちにご縁があって、産経新聞に2年ほど行かないかという話になりました。取材して記事を書くというセクションにいましたから勉強になると出向しました。

安達 素晴らしい機会でしたね。出向してから、どのようなお仕事を任されましたか?

早坂 産経新聞経済部の通商産業省(現在は経済産業省)の記者クラブです。仕事内容はハードですが、本当に楽しい仕事でした。右も左もわからないまま会見に出向き、書いた記事がいきなり夕刊一面に載ったことがありました。報道機関というところは、まだ誰も知らない一番新しいニュースがすべてで、記者が20代の女性で出向社員などというバックグラウンドとは関係なく記事を載せるのだと驚きました。それで快感になったのでしょうね。このまま産経新聞に残りたいと思いました。そして、念願叶って移籍することになりました。

安達 大きな1つの転換期ですね。早坂さんの実力が買われたということでしょう。

早坂 実力というよりは、向き・不向きではないかと思います。今はずいぶん緩和されてきましたが当時の新聞社は男性社会で、先輩の言うことは絶対だ、というような体育会系の雰囲気がある時代でした。それが向いていない人は続かなかったかもしれません。

安達 女性として、仕事と子育ての両立はかなり難しかったですか?

早坂 サンケイリビングでは周りに同じ状況の仲間がたくさんいましたし、大変なこともありませんでしたが、変わって男性社会の産経新聞ではそれなりに大変でした。でも頑張るしかないと思いました。子供は当時保育園に通っており、保育園の終わる時間にお迎えに行けないので両親や主人を頼ったり、どうしても難しい状況の場合には他の方に頼りました。後に子供と相性の良いベビーシッターを見つけて、お迎えだけでなくその後の時間も面倒を見てもらったのです。ベビーシッターさんを頼る時間が長いので保育料がとんでもなく高くなり、子供が小学校を卒業するまでは、毎月の保育料が私の給料を上回ることも珍しくありませんでした。そういったことが仕事でいろいろ大変でしんどいと感じることがあっても、仕事を続けようと思うパワーになったかもしれません。元をとるまでは、と。私の時代はまだ女性雇用拡大ですとかワーク・ライフ・バランスなどはありませんから、それなりに大変でした。

安達 まさに、身を削りながら仕事を続けたのですね。男女のポジションの差がどうしても出てしまうと感じたことはありましたか?

早坂 未だに新聞社は弊社のみならず、男性社会です。硬派と言われる政治部、経済部、外信部などは基本的に男性記者が多いのが現状です。私は期せずして経済部に配属され、その後も会社員として男女の差はなく昇進させてもらえましたが、ある女性の先輩から「私も昔は経済部を希望していたけれど、ついに叶わなかったのよ」と言われたことがありました。

安達 働く上で大切に心掛けていることやポリシーは何ですか?

早坂 今の時代とはかけ離れているかもしれませんが「公私混同しない」ということを大切にしています。いまは世の中がワーク・ライフ・バランスを後押していますが、以前は圧倒的にそのような風潮ではありませんでした。日本は男性が外で仕事をし、女性は家で子育てや家事をこなすという役割分担の時代を長く過ごしてきましたから、男性社会である新聞社では家庭の問題を仕事場に持ち込むことにアレルギーが強かったのです。だから絶対に公私混同しませんでしたし、今でもそうしています。

安達 最後に、働く女性の先輩として後輩へのメッセージをお願いします。

早坂 いかにしなやかに自分の本音を出すかと言うことが大切ですね。要するに、苦手な人に対してもその人に納得していただけるような言い方に換える知恵です。ストレートに物を言うと通るものも通りません。物の見方は一方向だけではなく、角度を変えたら別の真実も見えることがあります。今の時代は情報が溢れていますから、私の話は情報の1つとして捉えていただいて、自分の中の一番を、つまりベストミックスを作っていって欲しいですね。そうするためには「頑なにならない」ことではないでしょうか。困った時や助けて欲しい時はニッコリ笑って“困っています”“助けてください”と言ってみてください。きっとみんな助けてくれますよ。

安達 ベストミックスとは良いキーワードをいただきました。肩肘張らずに助けてくれる人には頼り、自分の本音を出しつつ、1つ1つ自分の中でノウハウを蓄積し、ゆっくりキャリアアップに繋げようということですね。本日はありがとうございました。

【対談を終えて】

女性が社会進出を果たすために、求められるキャリアアップの重要性を、あらためて感じた次第です。
アベノミクス「三本の矢」の第三の矢「民間投資を喚起する成長戦略」の中で「女性が輝く日本」が取り上げられ、女性の活躍が成長戦略の中核をなすものであると明言されたように、企業では女性が働きやすくなるような職場環境や仕組みを整え、政策の推進を加速させて欲しいと思います。
この「The 対談」コーナーにおいても、働く女性のキャリアップに関する対談を掲載することで、これから成長していく若い女性の力が伸び、活躍の場が広がることを期待します。





今回の取材にご協力いただいた

産業経済新聞社 編集局経済本部編集委員 早坂礼子(はやさか れいこ)氏のプロフィール



  • 1980年にサンケイリビング新聞入社後、1986年から産経新聞経済部記者として経済官庁や主要業界を担当。

  • 米スタンフォード大アジア太平洋研究所客員研究員、米USA TODAY紙国際部デスクを担当後帰国し、編集局経済部次長、営業局企画部長などを経て現職編集局経済本部編集委員として活躍中。