-- 学生時代の思い出、また、夢中になっていたことを教えてください
金川社長 :僕は、偏った学生生活を送っていたんです。中学校から、高校、大学4年、そして、社会人になって10年の合計20年バレーボールをやっていました。一年365日のうち、360日以上は、バレーボールをやっていました。
高校は、早稲田実業という名門に入って、一種の使命感みたいなものでやっていたんです。もう、やめられなかったですよ。やめることの怖さがありましたね。続けているほうが楽に思えて、止めたら人間失格なんじゃないかと思うくらい打ち込みました。
そうしたら、結果が出た。レギュラー、キャプテンとして活躍できるようになり、春高バレーにも出させてもらいました。
-- 大学時代もバレーをやられていたんですか?
金川社長 :そうですね。大学に入るときに、バレーではなくて、芸術方面に進みたいと思っていました。でも、大学からバレーボール推薦が来て、流れで、早稲田に入ってしまった。大学では、高校ほど練習はきつくなかったけれども、上下関係が厳しかった。
また、規則も厳しくて、ミーティングの1時間半前には集合して、移動の時には、靴や学生服、学帽、ネクタイから靴下まで、全部指定されたもので行く。今でいうと古風な応援団みたいな姿ですね(笑)。当時、自分はあまりこの規則の意味がないと思っていました。移動は、ジャージでいいじゃないですか?試合のときなんてどうせ、汗まみれになるんだから、ジャージのほうが効率的でしょ。そんな経験もあって、実は、早稲田バレー部の監督になったときには、服装の規則を廃止しちゃったんです。そしたら、OBから、なんで伝統を壊すんだってえらい文句を言われましたよ(笑)。
-- 辛かった時期はありましたか?
金川社長 :大学3年生のときに、大病しまして、その時は辛かったですね。半年間、全く試合に出れない時期があった。でも学んだこともありました。今まで、ずっとレギュラーでボール拾いもしたことがない。そんなときに、半年間ボール拾いをして、はじめてボール拾いのありがたみがわかった。
スパイクを思いっきり打って、他の部活のところにボールが飛んでいったら、自分が打ったボールじゃないのに、謝って取りに行かなきゃいけない。やりたくてもやれない時期を経験したことで、人の気持ちがわかるようになりましたね。あの経験がなかったら、今、どんな性格になっていたことやら。そして、最終学年では、キャプテンにまでなりました。バレー漬けの学生生活でしたが、今の僕の基礎は、この学生時代のバレーボールから成り立っているといっても過言ではないですね。
-- 就職活動などはどうされたのですか?
金川社長 :当時、スポーツができる人たちは、就職活動では売り手市場だったんですよ。自分が待っていても、会社から誘いがかかりました。でも、会社で真剣に仕事がしたかったから、ただ推薦で入るのではなく、一般で就職活動をしたんです。先輩がいた横河電機を受けて、そして、合格しました。結局、もう一社受かったんだけど、当時のバレー部の監督の奥さんが横河はいいよっていうので、横河に入りました(笑)。
-- 横河電機製作所(現:横河電機)に入社した当時のことを教えてください。
金川社長 :入社して5年間は、新規開発の部門にいて、新しいオフィス機器、プリンターやワープロを売っていました。その部門が、撤退したのを機に、5年間労働組合にいて、その後3年間は、新規事業企画室に、その後2年間は営業企画室にいましたね。新規事業企画室では、横河電機の多角化路線に従って、20社の新規事業の立ち上げに携わりました。
でも、お金や人をかけて、素晴らしい企画を立案するのに、いざ社長を決めて事業を走らせると成功しなかったんですよ。理由は、社長をやりたいと思う人が社長になっていなかったから。やっぱり、社長をやる人は、やりたいと思う人じゃないといけない。そのときに、自分もチャンスがあったら、やってやろうと思うようになりました。
-- 起業の経緯はどういったものだったのですか?
金川社長 :その後、会社の中の若手を集めて企画を立ち上げることになったんです。30代後半くらいの人たちが、企画メンバーになっていたのですが、次々と挫折していきました。土日が休みで、給料がもらえて安定しているから横河電機に入ったのに、なんで、ベンチャーをやらなきゃいけないんだってね。そこで、あるとき、社長がメンバーを呼び出したんです。「おまえら、だらしないぞ、やる気あるのか!」って。そのときに、たまたま社長と目が合ったんです。
「おい、金川、やる気あるのか。」って。そしたら、勢いで、「はい!」って答えちゃった(笑)。僕は、安定性などは、考えずに横河に入ったものだから、給料とか、休みとかはあんまり関係なかった。逆に、早稲田バレー部の監督や労働組合の書記長などを務めていたから、社長というトップに立つ仕事は、興味があったんです。トップだったら、やりたいってね。これが、僕の一番最初の起業のキッカケですね。