The 対談

キューアンドエー株式会社 創立20周年 特別企画「歴代社長のスペシャル対談」<黎明期>

キューアンドエー株式会社 創立20周年 特別企画「歴代社長のスペシャル対談」<黎明期>

ユナイトアンドグロウ株式会社 代表取締役社長で初代社長 須田騎一朗氏と、横河レンタ・リース株式会社 代表取締役社長で二代目社長 金川裕一氏、そして三代目社長  牛島祐之が、キューアンドエー株式会社 創立20周年 特別企画「歴代社長のスペシャル対談」をおこないました。

◆掲載日:2017年5月26日

牛島  話は横河キューアンドエー株式会社時代になりますが、その当時の事業は順調でしたか?
 
金川裕一氏
金川 いいえ、順調ではありませんでした。私はそれまで大きな会社(横河電機)の傘下で社員として働いていて、お給料をもらえる立場にありましたが「仕事を頑張らなければ収入もないのだ」という感覚を須田さんから学ばせていただきました。須田さんのような、ゼロから立ち上げてビジネスをやってきている人たちにとっては、ある意味で「自分の生活=仕事」ですよね。当時は本当に苦しくて、大赤字になって。どうしようもなくなって、お互いに「給与を返上しよう」ということになりました。通常では考えられませんよね。「数十パーセントカット」というのは大企業ではやりますが、完全に給与をもらわない時期を経験させていただいたというのは…。今となっては良い思い出になっていますが、当時は苦しかったです。
 
牛島 当時はオンサイト事業とコンタクトセンターの事業、2つの柱を使ってどんな事業をしようと考えていましたか?
 
須田 私がやっていたコンタクトセンター(当時はサポートセンター)は、電話とメール、ウェブを使ったテクニカルサポートで、しっかりと接客サービスのできる「No.1の会社」を創ろうと考えていました。そこに金川さんが現れたのです。
 
金川 当時はオンサイトのサポートサービスに1回行くと1~2万円いただいておりました。オンサイトサポートを利用していただいているお客さまに調査したところ「金額が少し割高だ」「もう少し気軽に相談事ができる方法はないか」「電話やメールが気軽にできたらいい」という話を皆さんがおっしゃっているのを聞き、オンサイトサポートサービスとコンタクトセンターサービスは親和性があると考え、須田さんの株式会社キューアンドエーと合併に至りました。
 
須田 当時はインターネットが急速に普及し始めて、テクニカルサービスが絶対にこれから盛り上がるという空気感がありましたね。その中で、テクニカルサポートをやっている独立系の会社を合併しようか、という話が盛り上がっていたのですが、最終的にはこの2社がお互いを選び、他の会社はすべてお断りしました。
 
牛島 その時にはすでに、今のキューアンドエーの「テクニカル系のサポート」というブランドができ上がりつつあった、ということですね。
 
金川 「ワンストップ/マルチベンダー・クロスカテゴリー対応」というのは、私たちははじめからやっていました。オンサイトサポートサービスも結果的にはすべて、ワンストップ/マルチベンダー・クロスカテゴリー対応になりました。オンサイトサポートはお客さまのところでいろいろな機器環境がありますが、電話サポートという意味では、このコンセプトの対応は須田さんが一番初めにやり出したのではないかと思います。
 
牛島 2つの会社が1つになることで、揉めごとがあったり、うまくいかないことがあったりということもよくあると思いますが、当時はいかがでしたか?
 
須田 そういったトラブルは特段ありませんでした。そんな状況ではなかった、ということもあると思います。なにしろ、合併して赤字になってしまったのですから。「合併したら良いことがいろいろ起こるだろう、利益も足し算すれば大きくなるし、投資もできる」と思って合併に至ったのですが、ちょうどそのタイミングで景気が悪くなっていったり、お客さまの倒産があったりと、ダブルパンチ、トリプルパンチの悪条件が重なって赤字に転落してしまっていました。
 
牛島 黒字転換して事業が軌道に乗るまでに、何年くらいかかったのでしょうか?
 
金川 2003年の10月くらいに、単月で黒字を達成できました。 そこからはずっと黒字を維持できました。
 
牛島 その当時、特に思い出に残っていることは何でしょうか?
 
須田 創業の初年度、2年目あたりは売上もほんのわずかで、お客さまもまだまだ中小のプロバイダーばかりでしたから、本当にみんなお金がありませんでした。「とにかく節約してやっていこう」ということで、自宅にあった古い炊飯器を会社に持ち込んで、毎日お昼はご飯を炊いて、みんなでおかずを持ち寄って食べていました。毎日お昼近くになるとご飯の炊ける匂いのするコールセンターでした。懐かしいですね。
 
牛島 牛島 まさに家族的なコールセンターですね。
 
須田 しばらく経ってから、24時間対応のテクニカルサポートを完全なマルチベンダーでやろうということで「クラブQ&A」をはじめとする会員制サポートの試みをいくつかやっていました。24時間営業のセンターでは、出社時間がばらばらですので、一斉に情報共有をすることができないのが最も難しいところです。そこで、あるスタッフから「24時間飲み会をやろう、そうすれば絶対参加ができるはずだ」という発案を受けて、渋谷でほぼ24時間、シフトで上がってくるスタッフを順番に呼んで飲み会をしました。「現場のスタッフはすごいことを考えるな」と思って感動もしましたし、そこでチームの結束が強まりました。特に、終電で出社するスタッフたちが喜んでくれました。
それともう1つ、オンサイトサポートサービスが黒字化すると見えた瞬間は嬉しかったですね。当時、パソコンの出張サポートをするオンサイト事業がかなり流行っていました。ある大手の会社が、ものすごく安い金額でオンサイトを発注すると打ち出し、業界の価格破壊的な動きもあった関係で、雨後の筍のごとく出張サポートを始める会社が現れてしまったのです。周囲に合わせて値段を下げればこちらも潰れてしまうという状況ではありましたが「このサービスを絶対に黒字化して、長期継続させよう」と役員間で議論し、教育やシステムに投資もおこなっていきました。当時の私たちとしては思い切った投資で、徹底したシステム化をすると決断したのです。何とか軌道に乗りはじめた頃に発注のピークを迎えて、後発の業者はアナログ的に手配をおこなっていたので業務が回らずに破たんしていきました。そのような中で私たちはシステム化もある程度対応できていましたし、現場もものすごく真面目にやっていましたので、発注が集まってきて黒字化しました。本当に嬉しかったですね。諦めないという気持ちが、結局は状況を変えていくことに、自分としても勉強になりました。
 
牛島 2003年に黒字になって、須田さんは2004年にキューアンドエーを離れました。その時のお話を伺いしたいです。高い志を持ってやってこられた会社を辞めて、違うものにチャレンジをしようと踏み切られたのは、どういった想いがあったのでしょうか?
 
須田 理由は1つではないのですが、自分なりの新しいチャレンジをしたくなったということです。会社としても、危機的状況は潜り抜けられそうだということが見えましたので、そこから先はこれまでの二人三脚ではなく、1人のトップがしっかりオペレーションをして会社をマネジメントしていく形が良いのではと思ったのです。 従業員にとっては急に辞めるように見えたかもしれませんが、2人の中では、だいぶ前から話はしていたのです。ある程度の環境は整えたうえで退任させていただきました。
須田騎一朗氏
それと、私としてはこの会社の新規事業を創るつもりで辞めた、というところもありました。「中小企業向けのITサポート専門サービス」を立ち上げていこうと。これは、実は全国のオンサイトスタッフと長年語り合っている間に、皆さんが仰っていたことでした。「個人向けのサポートサービスは素晴らしい、お客さまからありがとうと感謝されて本当にやりがいはあるのだけれど、スタッフ自身が安定した所得を増やすためにどうにかしてほしい」「中小企業向けのサポートがあったらやりたい」と言われたのです。しかし、なかなか取り組めずに待っていただいているうちに気がついたのです。キューアンドエーの主要クライアントは大手企業ですから、中小企業クライアント向けの話はあがりにくい、つまりキューアンドエーではこのようなサービス開発は不可能ではないか、と。小規模な事業体をまったく別に創って、そこで社長でも専務でも、誰もがクライアントのことを毎日考えるような体制作りをしないと立ち上がらないなと考えました。
「勝手に始めるから、うまくいったらまた合併しようね」「こっちの方がうまくいったら買収させてね」と、半分冗談ですけれど半分本気で新会社を創ったのが経緯です。
 
牛島 須田さんが辞めた翌年、2005年に「感動共有企業」という企業理念を金川さんが掲げられました。私もキューアンドエーに来て、いい企業理念だなと感銘を受けましたが、これを創られた時の想いや背景をお聞かせください。
 
金川 実際に理念の策定をおこなったのは2005年ですが、須田さんがいた時から「企業理念をしっかり創った方がいい」という話をしていました。須田さんは「理念オタク」でしたからね。当時の私は「最終的に利益があれば(理念などなくても)いい」と思っていたのですが、須田さんは「一番初めに理念を創ってやっていくべきだ」と強調していました。事前期待を超えて、お客さまに対して長く付き合っていくロジックは面白いと感じていたので「感動共有」という言葉はサポートサービスをしていく上では非常に大事なポイントだと考えました。その言葉を前面に押し出して、企業理念の実現に向けて事業を組み立てていくのが良いであろうと。理念を創るということは、今ではとても大事なことだと考えています。
 
牛島 「感動共有企業」という企業理念は今後20年、30年、40年受け継がれていくものではないかと思います。大切にしていくべきですね。
さて、先程、横河キューアンドエーの社名から“横河”を外した時の話をされていました。それまで“横河”というブランドネームが付いていて、信頼感、安心感という点では大きな意味を持っていたのではないかと思いますが、それを取ったのがその翌年の2006年でしたね。その時の周囲の反応はいかがでしたか?
 
金川 当時はオンサイトビジネスが伸びていたこともあり、思ったよりも影響は少なかったです。会社を創って10年近くになりますから、それなりにネームバリューも浸透してきていましたし、人脈も形成されつつあったのでしょうね。周囲からは激励の言葉をいただくこともありました。「横河におんぶに抱っこではなく、自分たちのブランドでやることはすごく勇気のあることで、それを決断し実行していることは素晴らしいことだ」と。
 
 
キューアンドエー株式会社 創立20周年 特別企画「歴代社長のスペシャル対談」
 
★創業時(2017年4月27日公開)
★黎明期(2017年5月26日公開)
★改革期〜それぞれの想いと未来(2017年6月26日公開)
 

今回の対談にご協力いただいた

ユナイトアンドグロウ株式会社 代表取締役社長 須田騎一朗氏のプロフィール
  • 早稲田大学第一文学部を経て、出版社・マーケティングリサーチ会社・パソコン通信会社・広告代理店などで経験を積む。
  • 1997年、株式会社キューアンドエー(現:キューアンドエー株式会社)を創業。
  • 2005年、株式会社テクネット(現:ユナイトアンドグロウ株式会社)を創業。前職時代に「難しい」と判断して撤退をした「中堅・中小企業向けのIT支援事業」に経営資源を集中して、同社を成長させている。
 ◆ユナイトアンドグロウ株式会社
 
横河レンタ・リース株式会社 代表取締役社長 金川裕一氏のプロフィール
  • 1982年、株式会社横河電機製作所入社(現:横河電機株式会社)。オフィス機器営業部へ配属。その後、労働組合執行委員、書記長および副委員長を歴任。
  • 1996年、同社社内ベンチャー制度で横河マルチメディア株式会社を設立、代表取締役社長に就任。ICTデジタル製品に関連したサポートサービス事業を展開し成長させる。
  • 経営者として20年間の実績を積み、2016年4月、横河レンタ・リース株式会社 代表取締役社長に就任。
◆横河レンタ・リース株式会社