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The 対談

キューアンドエー株式会社 創立20周年 特別企画「歴代社長のスペシャル対談」<改革期〜それぞれの想いと未来編>

キューアンドエー株式会社 創立20周年 特別企画「歴代社長のスペシャル対談」<改革期〜それぞれの想いと未来編>

ユナイトアンドグロウ株式会社 代表取締役社長で初代社長 須田騎一朗氏と、横河レンタ・リース株式会社 代表取締役社長で二代目社長 金川裕一氏、そして、NECネッツエスアイ株式会社 代表取締役社長で三代目社長 牛島祐之氏が、キューアンドエー株式会社 創立20周年 特別企画「歴代社長のスペシャル対談」をおこないました。

牛島祐之氏(当時社長)がファシリテーター[2017年3月8日対談]

◆掲載日:2017年6月26日

改革期
 
牛島 2006年に社名から“横河”が取れて、今のキューアンドエーの形になりました。そこから今の成長が始まったのだと思いますが、当時を振り返ると何が一番当社の歴史にインパクトを与えた案件でしたか?
 
金川裕一氏
金川 2つあります。1つはオンサイト事業で、2005年にニフティ社との合弁会社「ネットライフパートナー株式会社」を創ったことです。合弁会社を創るきっかけになったのには、印象的なエピソードがあります。ニフティ社には創業当時からオンサイト(訪問)サポートサービスの注文をいただいていたのですが、ある時にコンペで負け、取り引きが切れてしまいました。当時親しくしていた富士通社の常務にニフティ社の常務を紹介されたのですが、そこで「いったい何をやっているのだ!もっとしっかり営業しなさい!」と叱咤激励されて、私は「一緒に会社を創ってオンサイト事業のビジネスをやりませんか?」と提案したのです。それは、ニフティ社とキューアンドエーが手を握っている絵を描いた、1枚の紙でした。
それから約1年後のこと、そのニフティ社の常務の方がポケットからくしゃくしゃになった紙を出して私に見せ「金川さん、この話、まだ生きている?」と。私はびっくりしながらも「生きてます!生きてます!ぜひやりましょう!」と言って会社を創り、オンサイトサポートサービスを再び受注したのです。ピーク時に4万件にまで受注を伸ばせたのはネットライフパートナーの役割が非常に大きかったと感じます。
そして、もう1つはNTT東日本社の件です。
 
牛島 コールセンター事業ですね。
 
金川 ピーシーデポコーポレーション社に出資いただいて、その子会社にあった「株式会社インターネット・サービスパートナーズ」が、NTT東日本社の光回線の取次代理店をやっていました。当社がその会社を買収したものですから、NTT東日本社にとってキューアンドエーはお客さまになったわけです。副社長に会わせていただくことになり「キューアンドエーは何ができますか?」と聞かれた時、ここでも1枚の絵を提出しました。家があって、いろいろなメーカーの機器があって、そこにインターネットが繋がっている。「我々はこれをワンストップ・マルチベンダーでサポートするサービスできる」と言ったら「これだ!」と言われたのです。
 
牛島氏 牛島 まるでどちらも、紙1枚で会社ができたようなエピソードですね。
 
金川 1枚1枚の紙が結果的に、オンサイトサポートサービスは40億円、NTT東日本のコールセンター事業も40~50億円のところまでいきました。出会いも含めて運命的なものだったと感じます。
 
牛島 業績も良くなり、キューアンドエーは上場を目指しましたね。結果的には見送りましたが、どのような経緯でしたか?
 
金川 4回挑戦しましたが、いずれもタイミングが非常に悪く、取りやめました。縁がなかったのかもしれません。最後に上場しようとした時は日経平均7,500円くらいで、上場してもメリットもなく、株主にも迷惑をかけるという判断で取りやめました。
 
牛島 そして2011年、東日本大震災もキューアンドエーにとっては大変な試練だったのではないかと思いますが、当時の状況はいかがでしたか?
 
金川 前日に経営会議があって、黒板に数字を書いて「これは上場いけるぞ」と言っていた翌日に地震が起きました。渋谷のオフィスは本当にぐちゃぐちゃになって大変な有り様でした。それだけでも大変でしたが、2005年から仙台に大きなコールセンターを持っていたので、仙台が地震の発信源になっていると知って非常に心配になりました。ところが、なかなか現地と連絡が取れません。インターネット経由でつながるテレビ会議システムを使って、なんとか連絡が取れるようになりました。
 
牛島 その時はすでに仙台は主要拠点となっていたと思います。ものすごく早く復旧されたのですよね。
 
金川 当時、仙台に2拠点あったセンターのうちの1つがSS30というビルでした。古いビルでしたので、かなりビル内がめちゃくちゃになっていました。余震も続いていましたし、コールセンター事業者が次々に仙台から撤退していく状況でしたので「もしかしたら仕事がなくなるかもしれない」という危機感が社員の方々にもあったと思います。救援物資を運んだ時にも、社員に何が欲しいかと尋ねたら「仕事が安定してもらえること」という答えが返ってくるほどでした。社員の方々は皆、自身の家も大変な状態にあったにもかかわらず、徒歩や自転車でセンターに来てくださり、掃除をして、4日くらいで復旧してくれました。1日でも早く他社に比べてアドバンテージがあるところを見せなければならない、という危機感で動いていたのだと思います。
その時にNTT東日本社の前田副社長が訪問してくださり、当社を見てびっくりされていました。「これはすごい!よくここまでやって…」とお褒めいただいた一方で「無理しなくていいから自分たちのことをちゃんとやりなさい」と言葉をかけてくださったのを覚えています。他社が仙台から撤退したり復旧に時間がかかっている状況で、当社は迅速に復旧できたこともあり、みんな落ち着きを取り戻しました。「仕事はしっかり継続するのだ」ということを確認できたのです。
 
牛島 困った時の団結力はキューアンドエーのひとつの良い文化かもしれませんね。
 
金川 非常に素晴らしかったです。「現場が仕事を守った」ということですね。そのおかげで何とか乗り越えられたと思います。
 
牛島 2012年には、私が当社に来るきっかけになった遠因かもしれませんが、丸紅社からNECネッツエスアイ社に資本が移動しました。どのような考えで受け入れをしたのですか?
 
金川 当時は13社くらいの株主がいて、そのうちベンチャーキャピタル(VC)系が5〜6社ある状況でした。その中の1社に丸紅社もいたのです。それらのVCは「将来的には株を放出したい、イグジットさせてほしい」との意向で、イグジット先を見つけていかなければいけなかったのですが、受け皿をどのようにしたらいいか、とても悩みました。どこかで引き取ってくれるところはないか、上場はしないけれど当社に興味を持っているところはないかということで、探していたところNECネッツエスアイ社が手を挙げてくださいました。他にも候補はたくさんありましたが、最終的に事業面でシナジーがあることや、NECグループというブランド力もあり、NECネッツエスアイ社が最適だと判断しました。当時の株主が嫌な思いをすることなく株を売却してくださるよう、真摯に対応していただいたので大変感謝しています。
 
牛島 私はちょうどその当時、地方転勤で全国を回っていました。本社の方で「キューアンドエーと提携をした」というニュースを聞いただけで、キューアンドエーという会社ははっきり言って知りませんでした。確か大阪に出張した時に、金川さんにお会いしたのが初めてでしたね。
 
金川裕一氏 金川 まさかご自身が社長になると思わなかったでしょう?僕は会った時に牛島さんが将来当社に来るということを知っていましたよ。
 
牛島 その1カ月後くらいに内示をいただきました。それまでキューアンドエーという会社をあまり知らなかった私が、金川さんと偶然にも初めてお会いして、その翌月に内示をいただいたわけですから、あの時期がまさに人生の転機だったのだと感じます。私にとっては人生の転機は、金川さんとの邂逅にあると思っています。
金川さんは現在、横河レンタ・リース株式会社の社長になられていますけれども、経緯についてお話しいただけますか?
 
金川 「横河レンタ・リースの社長に」とオファーをいただいた際に、大株主であるNECネッツエスアイ社の社長に相談したら「とんでもない!」と凄い剣幕で怒られてしまいました。「この会社を捨てるのか!私たちはあなたに投資をしているのだ!最後まで責任をとってくれないと困る!」と。それでも何回も話を進める中で「2年間かけて次にキューアンドエーの社長にノミネートする者に引き継ぎをしてくれたら認めましょう。あなたが株主として一緒に支援ができるならば、キューアンドエーにとっても良いことです」とご理解いただきました。
 
牛島 確かに良いオファーだと思いますが、ずっと一緒に育ってきたキューアンドエーを離れるという決断をするまでの葛藤もあったのではとお察しします。
 
金川 当然ありました。自分で創って成長させてきた会社を離れなければいけないのは非常に悩みました。その一方で、横河レンタ・リースがキューアンドエーの株主であったことが決断にあたっての大きなポイントでした。キューアンドエーの社長・会長としてマネジメントすることはこの会社のためになるかもしれないが、一方で第2の株主としてキューアンドエーと仕事をし、キューアンドエーの発展に寄与・貢献するということもひとつのやり方ではないかと捉えました。株主としてキューアンドエーを側面からサポートできるという意味で、株主の会社に行く意義があると考えたのです。
それともう1つ、私が恩義を感じていたのは横河電機という会社だ、という理由です。37歳で投資をしていただいて会社を創って、ボロボロの会社であっても我慢してくださり、20年やらせていただいた。その会社から「戻ってこないか」と言われた時に、無下に断れないという気持ちもありました。恩や出会いなど、人のつながりは大事なことだと思っていますから。まったくつながりのない会社だったら受けなかったでしょうね。
 
それぞれの想いと未来
 
牛島 お二人とも立派な経営をされていますが、それぞれの経営に対する考え方をお伺いしたいです。
 
須田氏 須田 私のポリシーは、人間が中心の組織を常に創ることです。会社には必ずサービスやプロダクトや、何らかの仕組みがあって、それが世の中に受け入れられてうまくいっているわけですが、それを創っているのは人間ですので「人間の集まりとしてどれだけ優れているのか」ということを絶対に忘れないようにしようと考えています。人間中心の組織作りをするし、人間中心のビジネスを創る、と。現在のキューアンドエーも、ここまで生き残り、発展して来られたのは、現場の中心にある方々が常に「良いサービスをやりたい!良い会社を創りたい!」と考えているからだと思います。
 
金川 先ほど須田さんが「人」のことを言われていましたが、やはり人は一番大事です。マネジメント・経営とは、社員を元気にすることだと思います。元気があれば何でもできる。元気でいれば結果はおのずとついてくる。どうやって元気にさせるかという手法は経営者によって異なるのでしょうが、原理原則として、社員が元気にならない限りは良い成果は上がってこないと思います。
 
牛島 お二方とも、社員にスポットライトを当てておられるのは共通していますね。
 
須田氏 須田 私たちは性格も志向性も趣味も違うし、話も方向性もまったく合わないのですが、その根底の部分がやはりしっかりと合致していたところが大きかったです。
 
金川 それと須田さんの「真摯に仕事をし、熱心に自分がやりたいと思ったことをやっていく」という面に間違いはないと思いました。嘘もないし愚直に真剣に真面目にやるということに関して感銘を受けたので、創業時、一緒にやってもいいと考えたのです。
 
牛島 お二人のポリシーがあったからこそ、キューアンドエーは20年も続けることができたのでしょうね。最後に、創立20周年にあたり、これからのキューアンドエーに一言いただけますか?
 
須田 まずひとつは、一人ひとりが常に「なぜこの会社に入ったのか?」という原点に立ち返って仕事をしてほしいと思います。「最高の接客サービスを目指そう」という、横河キューアンドエー時代に私たちが決めていた標語があります。最高の接客サービスをやりたいと思った人はそれを追求して欲しいですし、それぞれが「こんなサービスをやりたい」と願って入社したその原点に一人ひとりが立ち返れば、絶対に良い会社になると思います。ですから、どうか周りに流されずにサービスを追求していただきたいと思います。
 
金川 輝き続けていただきたいです。私にとってキューアンドエーという会社は体の一部みたいなものですので、なくなってしまったら困ります。私ももちろん、今のところで仕事を頑張るのは当然ですが、キューアンドエーも輝いていて欲しいのです。卒業して違うところへ移っても、元いたところが活性化していて元気だと、こちらも力を貰えます。私自身、これまでに通った学校や関わった団体は、今も組織が輝き、元気です。それをキューアンドエーにも望みたいのです。いつまでもキューアンドエーは元気で、良い会社でいてもらいたいと思います。
 
牛島氏 牛島 ありがとうございます。お二人にお話しいただきましたが、20年、30年、40年、50年と、まさに元気で輝くようにやっていかなければならないと改めて感じました。私自身、キューアンドエーに来て感じたのは、社員が皆、実に多様な輝きを持っているということです。
当社はキューアンドエーという会社と横河マルチメディアという会社の2つから派生してきてはいますが、そこにはいろいろなところから集まった多様な社員、才能ある社員が多いことを感じました。私は、輝きを持った個々の社員が自分の力を発揮し、新しい事業を生み続けて、未来に向かって輝くようなものを創っていきたいという想いでやっています。
今後もいろいろな形で当社と関わりがあると思いますが、引き続きご支援をいただきたく、お願いいたします。ありがとうございました。
 
 
キューアンドエー株式会社 創立20周年 特別企画「歴代社長のスペシャル対談」
 
★創業時(2017年4月27日公開)
★黎明期(2017年5月26日公開)
★改革期〜それぞれの想いと未来(2017年6月26日公開)
 

今回の対談にご協力いただいた

ユナイトアンドグロウ株式会社 代表取締役社長 須田騎一朗氏のプロフィール
  • 早稲田大学第一文学部を経て、出版社・マーケティングリサーチ会社・パソコン通信会社・広告代理店などで経験を積む。
  • 1997年、株式会社キューアンドエー(現:キューアンドエー株式会社)を創業。
  • 2005年、株式会社テクネット(現:ユナイトアンドグロウ株式会社)を創業。前職時代に「難しい」と判断して撤退をした「中堅・中小企業向けのIT支援事業」に経営資源を集中して、同社を成長させている。
◆ユナイトアンドグロウ株式会社
 
横河レンタ・リース株式会社 代表取締役社長 金川裕一氏のプロフィール
  • 1982年、株式会社横河電機製作所入社(現:横河電機株式会社)。オフィス機器営業部へ配属。その後、労働組合執行委員、書記長および副委員長を歴任。
  • 1996年、同社社内ベンチャー制度で横河マルチメディア株式会社を設立、代表取締役社長に就任。ICTデジタル製品に関連したサポートサービス事業を展開し成長させる。
  • 経営者として20年間の実績を積み、2016年4月、横河レンタ・リース株式会社 代表取締役社長に就任。
◆横河レンタ・リース株式会社
 
NECネッツエスアイ株式会社 代表取締役社長 牛島祐之氏のプロフィール
  • 青山学院大学 経営学部卒業を経て、1984年、NECネッツエスアイ株式会社に入社。営業本部へ配属。コールセンターのシステム直販を独自サービスとして初めて導入した。
  • 2014年4月、キューアンドエー株式会社 執行役員副社長に就任。同年10月、ディー・キュービック株式会社 代表取締役社長に就任。
  • 2015年4月、キューアンドエー株式会社 代表取締役執行役員社長に就任。
  • 2017年6月、NECネッツエスアイ株式会社 代表取締役社長に就任。
◆NECネッツエスアイ株式会社